愛媛県新居浜市の産業基盤の礎となった別子銅山の施設跡などを利用したテーマパーク「マインドピア別子」。江戸時代の元禄に始まり、昭和48年に閉山するまで、283年にわたり脈々と掘り続けられた別子銅山。工業都市・新居浜市発展の礎となったこの別子銅山の偉業を後世に引継ぎ、新たに観光施設として生まれ変わったのがマイントピア別子です。平成3年に「マイントピア別子/端出場ゾーン」、平成6年には「マイントピア別子/東平ゾーン」を完成し、遊びながら学ぶ、自然と触れ合いながら学ぶ、近代化産業遺産観光という新たな観光ジャンルを切り開いた観光地です。「マインドピア別子/端出場ゾーン」は、別子銅山の最後の採鉱本部が置かれたかつての採鉱の拠点で、周辺には打除(ウチヨケ)社宅や鹿森(シカモリ)社宅が整備され、鉱山で働く人々の生活の拠点でもありました。約6万㎡の広大な敷地には、別子銅山の歴史を遊びながら学べる鉱山鉄道・観光坑道や、ゆったりとリラックスできる広々とした温泉施設、またレストランなどの飲食施設もあり、一日ゆっくりと楽しめる施設です。園内には、登録有形文化財に指定された別子銅山ゆかりの産業遺産が残っており、渓谷や山々に囲まれた自然環境の中で、しゃく薬、鹿の子ゆり、冬桜などや四季折々の花を眺めながら散策を楽しむことができます。「マイントピア別子/東平ゾーン」は、大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた所で、地中深くから掘り出された銅の鉱石を坑内電車で東平まで運搬し、そこで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、索道を利用して、現在のマイントピア別子(端出場ゾーン)のある端出場へと輸送していた中継所となっていたところです。最盛期には、社員・家族を含めて約5,000人が周辺の社宅で共同生活する鉱山町でもあり、病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設も整備され、一時期の別子銅山の中心地として賑わっていました。当時の施設の多くは取り壊され、植林によって自然に還っていますが、貯鉱庫、索道基地、変電所、第三通洞、保安本部などの鉱山関連施設の一部が風化の痕跡を残しつつ現存し、中でも重厚な花崗岩造りの索道基地跡の石積みは、東平の産業遺産観光の目玉となっています。大人でもお子様でも楽しめる施設です。営業部:梅津