- トップページ
- \沖縄ナハナホテルに泊まる/首里城正殿復活!のご案内
\沖縄ナハナホテルに泊まる/首里城正殿復活!のご案内
- 夢なび会員
- 国内
2026年10月31日

\沖縄ナハナホテルに泊まる/首里城正殿復活!のご案内
那覇市首里のシンボル、赤い正殿がいよいよ帰ってきます!
2026年11月23日に一般公開予定となります。今回は首里城のご案内をいたします。
★スターツグループの沖縄ナハナホテルからは車で約20分。
ホテル最寄り駅、旭橋駅からゆいレールにて首里駅下車徒歩約15分。
沖縄ナハナホテルに宿泊するプランはこちらから↓
首里城について
首里城は14世紀末から約450年にわたって繁栄した琉球王朝の首府となります。
沖縄の歴史・文化を象徴する城で首里城の歴史は琉球王国歴史そのものです。
特徴は小高い丘のの上に位置し、曲線を描く城壁で取り込まれ、その中に多くの施設が建てられいます。
いくつもの広場をもち、また信仰上の聖地も存在しています。建物は中国や日本との長い交流の歴史が
あったので、首里城は随所に中国、日本の建築文化の影響を受けています。正殿、南殿、北殿は代表的な例といえます。
琉球時代、国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもありました。
また首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が多く活躍していました。
文化芸術の中心でもあったのです。
2000年の12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録さました。
特徴は小高い丘のの上に位置し、曲線を描く城壁で取り込まれ、その中に多くの施設が建てられいます。
いくつもの広場をもち、また信仰上の聖地も存在しています。建物は中国や日本との長い交流の歴史が
あったので、首里城は随所に中国、日本の建築文化の影響を受けています。正殿、南殿、北殿は代表的な例といえます。
琉球時代、国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもありました。
また首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が多く活躍していました。
文化芸術の中心でもあったのです。
2000年の12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録さました。
そんな広い首里城のみどころスポットをご紹介いたします。
~首里城のここは見ておこう!をご紹介~

正殿
首里城正殿は、政治や祭祀などを行った、城内の中心となる建物です。
中国の紫禁城をモデルとし、そこに日本や琉球の伝統建築様式を取り入れた、独特の雰囲気を生み出しています。正殿の前は御庭(うなー)と呼ばれ、ここで年間を通じて様々な儀式が執り行われました。御庭から見る正殿は、赤い壁に赤い瓦、大きな唐破風と威厳を感じます。
正殿は木造の三階建で、一階は「下庫理(しゃぐり)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官ら
が儀式を行う場でした。三階は通気を目的とした屋根裏部屋になっています。
創建年は、復元に先立って実地された発掘調査から14世紀末頃とされています。その後ほぼ同位置で数度の焼失、再建を繰り返してきました。
1992年に復元した建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに建てられたものでした。
正面の石階段の両脇には龍の彫刻があり、これを「大龍柱(だいりゅうちゅう)」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」を配していました。
その他柱や梁(はり)等にも龍の彫刻が多数施されていました。龍は国王の象徴であり、たくさんの龍が首里城には棲んでいました。
中国の紫禁城をモデルとし、そこに日本や琉球の伝統建築様式を取り入れた、独特の雰囲気を生み出しています。正殿の前は御庭(うなー)と呼ばれ、ここで年間を通じて様々な儀式が執り行われました。御庭から見る正殿は、赤い壁に赤い瓦、大きな唐破風と威厳を感じます。
正殿は木造の三階建で、一階は「下庫理(しゃぐり)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官ら
が儀式を行う場でした。三階は通気を目的とした屋根裏部屋になっています。
創建年は、復元に先立って実地された発掘調査から14世紀末頃とされています。その後ほぼ同位置で数度の焼失、再建を繰り返してきました。
1992年に復元した建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに建てられたものでした。
正面の石階段の両脇には龍の彫刻があり、これを「大龍柱(だいりゅうちゅう)」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」を配していました。
その他柱や梁(はり)等にも龍の彫刻が多数施されていました。龍は国王の象徴であり、たくさんの龍が首里城には棲んでいました。

守礼門
守礼門は、2000年に発行され二千円札にも描かれた首里城の大手門です。
守礼門とは俗名で、正式には「上の方にある美しい門」という意味の「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といいます。正殿同様に沖縄戦で焼失し、
現在のものは1958年に復元されたものになります。中国の牌楼(ぱいろう)という形式で建てられているのが特徴です。
門には通称の由来である「守禮之邦(しゅれいのくに)」と記された額が掲げられています。
もともと中国からの使者(冊封使)が訪れたときに、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」というメッセージとして掲げられていました。
それ以外は単純に琉球王国を意味する「中山府」の扁額を使っていました。扁額とは鳥居や楼門、社殿などの高い位置に掲げられる、文字を記した額のことです。
守礼門とは俗名で、正式には「上の方にある美しい門」という意味の「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といいます。正殿同様に沖縄戦で焼失し、
現在のものは1958年に復元されたものになります。中国の牌楼(ぱいろう)という形式で建てられているのが特徴です。
門には通称の由来である「守禮之邦(しゅれいのくに)」と記された額が掲げられています。
もともと中国からの使者(冊封使)が訪れたときに、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」というメッセージとして掲げられていました。
それ以外は単純に琉球王国を意味する「中山府」の扁額を使っていました。扁額とは鳥居や楼門、社殿などの高い位置に掲げられる、文字を記した額のことです。

歓会門
歓会門は守礼門を過ぎた後に見えてきます。「歓会」とは歓迎という意味で、中国からの冊封使(さっぽうし)など正客を迎える際に使われたことから、
歓会門と名付けられました。また「あまえ御門(うじょう)」とも呼ばれ、「あまえ」とは琉球の言葉で喜ばしいという意味があります。
アーチ状の城門の上に、木製の櫓が乗っているのが特徴です。❛櫓❜の存在は当時の琉球王国の中央集権化を象徴しており男性専用の門としての
役割を果たしておりました。
これは正門である歓会門以外にも通用門であった久慶門(きゅうけいもん)や継世門(けいせいもん)などにも共通しています。
また、城門にはちょっと意外ですが、沖縄らしくシーサーがいるので注目してみてください。こちらも沖縄戦で破損しましたが、1974年に復元されました。
歓会門と名付けられました。また「あまえ御門(うじょう)」とも呼ばれ、「あまえ」とは琉球の言葉で喜ばしいという意味があります。
アーチ状の城門の上に、木製の櫓が乗っているのが特徴です。❛櫓❜の存在は当時の琉球王国の中央集権化を象徴しており男性専用の門としての
役割を果たしておりました。
これは正門である歓会門以外にも通用門であった久慶門(きゅうけいもん)や継世門(けいせいもん)などにも共通しています。
また、城門にはちょっと意外ですが、沖縄らしくシーサーがいるので注目してみてください。こちらも沖縄戦で破損しましたが、1974年に復元されました。

園比屋武御嶽石門
守礼門と歓会門のちょうど間あたりにある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があります。
門のような形をしていますが、くぐるためのものではありません。御嶽とは祭祀を行う場所を指します。御嶽の本体は石門の背後に広がる広大な森となっています。
国王が各地へ外征する際は琉球石炭岩で造られた石門の前で、神に道中の安全を祈願していました。
門のような形をしていますが、くぐるためのものではありません。御嶽とは祭祀を行う場所を指します。御嶽の本体は石門の背後に広がる広大な森となっています。
国王が各地へ外征する際は琉球石炭岩で造られた石門の前で、神に道中の安全を祈願していました。
琉球石垣建造物の代表として1933年に国宝に指定されました。また首里城跡と同じく2000年にユネスコの世界遺産に登録され
現在は国指定重要文化財になっている貴重な建物となります。
現在は国指定重要文化財になっている貴重な建物となります。

瑞泉門
アーチ状の石門となっている歓会門とは異なり、石の柱の上に木製の櫓が直接乗っている門となります。
櫓の中央に「瑞泉」の文字が書かれた扁額が掲げられているあたりに、琉球らしさが感じられます。扁額とは建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額をさします。
首里城第2の門であり、歓会門や久慶門などができる前はこちらが正門でした。
門の右手前に龍の口から水が湧き出す「龍樋 (りゅうひ)」があります。そこから「瑞泉門」と名付けられ、別名を「ひかわ御門(うじょう)」といいます。
沖縄では井戸や泉を川(カー)と表現していました。「ひかわ」は樋と川を組み合わせた言葉で、フィージャーガーとも発音されます。
櫓の中央に「瑞泉」の文字が書かれた扁額が掲げられているあたりに、琉球らしさが感じられます。扁額とは建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額をさします。
首里城第2の門であり、歓会門や久慶門などができる前はこちらが正門でした。
門の右手前に龍の口から水が湧き出す「龍樋 (りゅうひ)」があります。そこから「瑞泉門」と名付けられ、別名を「ひかわ御門(うじょう)」といいます。
沖縄では井戸や泉を川(カー)と表現していました。「ひかわ」は樋と川を組み合わせた言葉で、フィージャーガーとも発音されます。

書院と鎖之間
書院と鎖之間は、正殿に次ぐ大きな建物となっています。建物は南殿の渡り廊下と繋がっていて華やかな正殿とは対照的に、
庭園があり落ち着いた雰囲気が特徴です。書院には国王が日常の執務を行った御書院の広間があり、側近が周囲に控えてました。
また書院は、冊封使や薩摩藩の役人を招いて接待する場でもありました。
鎖之間は王子の控え所や、役人の懇談の場として使用されており、後から増築した建物と考えれています。
現在は、お茶とお菓子で当時の接待を体験できる施設となっているので起伏のある首里城内を散策する際は休憩所に最適です。
庭園があり落ち着いた雰囲気が特徴です。書院には国王が日常の執務を行った御書院の広間があり、側近が周囲に控えてました。
また書院は、冊封使や薩摩藩の役人を招いて接待する場でもありました。
鎖之間は王子の控え所や、役人の懇談の場として使用されており、後から増築した建物と考えれています。
現在は、お茶とお菓子で当時の接待を体験できる施設となっているので起伏のある首里城内を散策する際は休憩所に最適です。
まとめ
-
-
重なる災害や戦火によって改築や再建を繰り返したお城ですが首里城公園内には
琉球王国の歴史や文化を感じさせてくれるスポットがたくさん存在しています。 -
沖縄独自の土木建築技術によって造られた沖縄県内最大規模のグスク首里城。
琉球王国時代の生活をうかがい知ることのできる貴重な見どころとなっています。
旅行業公正取引協議会